『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載中の人気漫画『逃げ上手の若君』(松井優征著)。鎌倉幕府滅亡の後、北条氏の遺児・北条時行の活躍を描いた漫画です。そこに登場するのが、中央区淵野辺に伝説の残る「淵辺義博」。
鎌倉幕府滅亡後、新政権下で失脚した後醍醐天皇の子・護良親王は、鎌倉にいた足利直義の監視下に置かれました。鎌倉幕府再興のため挙兵した北条時行らが鎌倉を攻めます。北条時行らに護良親王が利用されることを恐れた足利直義の命を受け、親王を害したのが淵辺義博といわれています。
■淵野辺に残る淵辺義博の伝説
「逃げ若」では悪役として登場した淵辺義博ですが、淵野辺には英雄としての伝説が残されています。歴史に思いをはせながら、境川沿いを散歩してみませんか。
■龍も退治!?
境川に住み着いた龍(大蛇とも)が村を荒らしまわったため、地頭だった義博は、矢で射ぬいて見事に退治。頭、胴、尾に分かれて飛び散りました。龍の怨霊を鎮めようと、飛散した体の部分が落ちた場所に「龍頭寺」、「龍像寺」、「龍尾寺」が建てられたそうです。これら3つの寺を統合して再興されたのが、現在の龍像寺です。
■実は情にあつい!?
情け深かったのか、義博は主君・足利直義の命に逆らい、護良親王を害さず、宮城県石巻市へ逃がしたという伝説が残されています。境川たもとのエノキで妻子と別れ、親王と共に石巻へ(石巻市には護良親王を祭る神社あり)。今でも境川近くに残るエノキは「縁切り榎」、妻子との別れを惜しんだ中里橋は「わかれ橋」の異名も。昔は縁起を担いで、花嫁がこの橋を渡らないよう気を付けていたそうです。
■伝承をもっと知りたい!
図書館で所蔵している市史には、淵辺義博伝承のほか、相模原に数多くある伝承が掲載されています。興味を持った人はぜひ読んでみてください。あなたの知らない中央区の物語に出合えるかもしれません。
問い合わせ:中央区役所区政策課
電話042-769-9802
<この記事についてアンケートにご協力ください。>