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和田義盛は、鎌倉時代の初めに相模原周辺まで勢力を伸ばしていた武士団横山党と姻戚関係にありました。中央区内には義盛や横山党の伝承地などがあります。
和田義盛とは…三浦半島周辺で勢力を伸ばした三浦一族の武将で、武家政権発足時に軍事を担当する侍所別当(長官)となり、後に重臣13人の1人となりました。
●わだ坂
義盛が使った榎の箸を地面に刺したのが根付いたとされる「和田榎」があったことから、「わだ坂」と呼ばれるようになったといわれています︎
上溝(上溝駅徒歩10分)
●藤橋
わだ坂近くの姥川に架かる橋。義盛が藤を使って橋を作ったため、「藤橋」と呼ばれるようになったといわれています。現在はコンクリートの橋が架かっています
上溝(上溝駅徒歩10分)
●土塁
この土塁は横山党の一族である矢部(野部)氏の館に設けられたといわれています
上矢部(矢部駅徒歩20分)
問い合わせ:市立博物館
電話042-750-8030
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