令和6年8月1日発行のさがみはら市議会だよりNo.226で、昭和29年の市制施行時に市議会の事務局職員として在籍していた石井篁さんのインタビュー記事を掲載しました。みなさんお読みいただきましたでしょうか?
当時、石井さんとともに議会事務局の職員だった川崎洋子さんが、記事や写真をご覧になって連絡をくださり、お話を伺うことができました。(取材は、令和6年10月30日に市役所本庁舎で実施)
川崎洋子さん(90歳)
相模原町役場に入庁後は、総務課や議会事務局などに配属。
市役所退職後は、民間企業で経理を担当したり、福祉施設でボランティアとしても活動。
中学時代から趣味として続けている俳句では、市民文化祭で受賞するなど、幅広い活動をされています。
○町役場に入庁したきっかけは何だったのですか。
高校で学んだ簿記の知識を生かした仕事をしたいと思ったからです。高校は、ちょうど女子校から共学になった頃の上溝高等学校の商業科に通い、高校卒業後、町役場に入庁しました。当時、庁舎は上溝にありました。
○どのような仕事をなさっていたのですか。
最初の配属先は総務課で、市制施行時は議会の事務局で働いていました。高校でタイピングを習ったこともあり、邦文タイピストとしての仕事を多く担当していました。議会の内容を記録する速記者によって書かれた文章を、大きなタイプライターで一文字ずつ打って、会議録を作成していました。
昭和29年4月に庁舎が上溝から現在地に移った後は、2階の廊下をはさんで議長室と町長室があって、町長にもお茶を出したことなども覚えています。
○仕事をしている中で、議会にはどのような印象がありましたか。
議会の中で、市の重要なことが決まっているという印象がありました。タイピストとして議案の内容を見る機会も多く、「議会ではこのようなことを考えないといけないのだな」と思っていました。