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[特集]70年前の相模原市議会はこうだった!

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神奈川県相模原市

相模原市は、令和6年11月20日に市制施行70周年を迎えます。
昭和29 年の市制施行時に、市議会の事務局職員として在籍していた石井篁さんに、当時の様子についてお話を伺いました。 (取材日 令和6年5月28日)

◆石井 篁さん(93歳)
昭和26年に相模原町役場に入庁。
市役所退職後も、相模原郷土懇話会会長や市史編集委員会委員を務めるなど、相模原市の歴史を後世に伝えるべく、郷土史研究に精力的に取り組まれています。

Q 採用時から議会の事務局職員だったのですか?
私は、昭和26年に相模原町役場の職員に採用されてすぐ、現在の大野北まちづくりセンターに配属されました。
当時は、シャウプ勧告により地方財政の強化が求められ、固定資産税が創設された頃で、多くの職員が採用され、主に税務関係の部署や出先機関に配属されました。採用後の研修で、地方自治法や地方公務員法、地方税法などを勉強して、その後の作文試験の結果が良かったからか、昭和27年に議会の事務局職員(書記)となりました。

◯ちなみに…
議員一人に対する市民の人数は、昭和29年 約2,600人→令和6年 約15,700人となっています。

Q 議会の事務局職員になった当時、事務局や議場はどこにあったのですか?
当時、議場はありませんでした。事務局専用の執務スペースもなかったと思います。
議会を開催するときは、町役場の近くにあった小学校の講堂や警察署の会議室を借りて、会議用の机やいすをトラックで運び、議場を設営していました。

◯ちなみに…
専用の議場は、昭和29年4月に、新しい町役場庁舎の2階に初めて設けられました。
現在の議場は、市役所本庁舎が完成した昭和44 年から使用しています。

Q 石井さんはどのような業務を担当していたのですか?
私は書記をしていましたが、会議録の作成のほか、議会開催時の議案の読み上げも担当していました。これらの業務のために、議員の番号と名前をしっかりと頭に入れておく必要がありました。

Q 会議録はどのように作成していたのですか?
議会の事務局職員は3名程度しかいなかったため、併任の市長部局職員とともに、議会での発言内容を概ね30分交代で要点筆記し、それらを取りまとめていました。
県内ではすでに速記者により対応していた議会があり、後に相模原町でも衆議院の速記者養成所を卒業した人が採用されました。

◯ちなみに…
取材後、日本速記協会発行の「日本速記者名鑑」や「全国議事記録員会議議事録」を確認したところ、遅くとも昭和27年9月には、速記者養成所出身の職員が相模原町議会に在籍していたことがわかりました。
この当時、町議会に速記者がいたのは全国的にも珍しかったと思われます。県内では横浜市、川崎市、横須賀市、藤沢市、小田原市、平塚市に速記者がいたようです。

(さがみん)
石井さんからはこのほかにも、相模原市の友好都市である中国・無錫市との交流のお話などを伺いました。

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